魔法少女まどか☆マギカ 〈ワルプルギスの廻天〉の予告が公開され、ついに劇場公開が2026年2月に決まった。
叛逆の物語から大体12年経って、魔法少女まどか☆マギカという作品の「行く末」に対する自分の考えをわずかばかりだが書いてみようと思う。
魔法少女まどか☆マギカは、何を提示できるか?
魔法少女まどか☆マギカという作品は、その行く末に何を提示できるのだろうか?
自分が思うに、それは 「魔法少女というフォーマットの(改めての)再定義と肯定」 、別の観点から言うなら 「希望と絶望の終わりなきゼロサムゲームへのアンサー」 であろう。
「魔法少女というフォーマットの再定義と肯定」に関してはTV版で一度その結論が提示されたわけだが、これは叛逆の物語によって否定されてしまった。鹿目まどかの自己犠牲による魔法少女の救済という結末は悪魔化した暁美ほむらによって引き裂かれてしまった。正確に言えば、他者の救済と不可分だった鹿目まどかの自己犠牲の部分だけを世界の改変という意趣返しにより無理やり否定してしまった。と、ここまでが叛逆の解釈なわけだが、だからこそこの先の魔法少女まどか☆マギカはよりオルタナティブな「魔法少女というフォーマットの再定義と肯定」をやる必要があり、それを提示するだろうと私は期待している。
もう一つ「希望と絶望の終わりなきゼロサムゲームへのアンサー」というのは、魔法少女まどか☆マギカで提示されたフォーマットであるところの「希望と絶望の差し引きはゼロ」ということに対する答えである。叛逆の物語で「女神まどか(希望)に対する悪魔ほむら(絶望)」という概念が後出しで提示されてしまったことにより、女神まどかによる結論はゼロに戻されてしまった。この先もしも、鹿目まどかが暁美ほむらを救済しようとして、またゼロサム的な結論つまり「どちらかを救うためにはどちらかが犠牲になる」という結論はもう提示できない。お互いにそれをやってしまったから。だから、この先の魔法少女まどか☆マギカはこのゼロサムゲームの解決策を提示する必要があるし、そう期待している。
ワルプルギスの廻天は、何を提示できるか?
来たるワルプルギスの廻天は、上に挙げたような期待につながるなにかを提示できるだろうか?
結論から言えば、その始まりくらいは提示できる可能性があると思っている。
鹿目まどかと暁美ほむらの「救済の堂々巡り」をぶち壊すためには、まずは第三の舞台装置が必要だろう。ワルプルギスの魔女はまさにそれにふさわしい。
しかし、ワルプルギスの廻天はおそらくゼロサムからの脱出を目指す「出発点」くらいにしかならないのではないかとも思っている。いくら堂々巡りをぶち壊してもらったところで、最終的な結論を出すには鹿目まどかと暁美ほむら自身がなんとかするしかない。これはもう揺るがない。
となれば、それはワルプルギスの廻天のさらに先にあるのだろうと思う。「新たなる始まり」って言ってるくらいだし。
さいごに
まどほむが幸せになれる未来だったらなんでもいいです僕は。


